東京地方裁判所 昭和61年(ワ)6324号 判決 1990年10月29日
原告
今善司
同
坂詰勝
同
山﨑文
同
大貫健
同
高崎方子
原告ら訴訟代理人弁護士
藍谷邦雄
同
吉田健
同
川上三知男
被告
社団法人日本書籍出版協会
右代表者理事長
服部敏幸
右訴訟代理人弁護士
松崎正躬
同
奥毅
主文
一 原告らの請求をいずれも棄却する。
二 訴訟費用は原告らの負担とする。
事実及び理由
第一請求
被告は、原告今善司に対し金一二二一円、原告坂詰勝に対し金一一〇九円、原告山﨑文に対し金九五九円、原告大貫健に対し金一五五九円、原告高崎方子に対し金一二九六円及びそれぞれ右各金員に対する昭和六一年四月二六日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
第二事案の概要
本件は、被告が就業規則を制定し、昭和六一年四月一日施行したところ、被告の職員である各原告が、同就業規則の午前九時を始業時刻とする勤務時間の定めは無効であり、始業時刻は九時三〇分であるとして、同月一七日又は一八日に午前九時から勤務して、三〇分に相当する割増賃金の支払を請求した事案である。
一(当事者等)
1 被告は、出版事業の健全な発達と出版文化の向上普及に必要な調査研究、出版事業発展のために必要な関係者の親睦と福利増進、関係官庁及び関係団体との連絡、出版文化の国際的交流の推進、機関誌等刊行物の編集発行等の事業を行う社団法人であり、昭和四〇年四月一日に設立され、本件当時、出版社等の会員四二八社を有していた。
被告の代表者は服部敏幸理事長であるが、本件当時、日常業務は村山貞也専務理事と重久昌明事務局長の指揮によって遂行されていた。
2 原告大貫健は、昭和四二年一一月から一年間被告でアルバイトとして稼働した後被告に職員として採用され、原告高崎方子は、昭和四七年六月から被告に雇用され、それぞれ調査部の業務に従事していたものであり、原告今善司は、昭和五三年一一月から、原告坂詰勝、同山﨑文(旧姓本間)は、いずれも昭和五四年七月から、それぞれ被告に雇用されて「日本書籍総目録」の編集出版の業務に従事していたものである。原告らは、いずれも総評全国一般労働組合東京地方本部南部支部書籍出版協会分会(昭和四五年一〇月末「日本書籍出版協会労働組合」の名称で結成。以下「組合」という。)の組合員である。
二(原告らの勤務時間と本件就業規則の制定)
1 被告における月曜日から金曜日までの平日(以下単に「平日」という。)の勤務時間については、被告と組合間の昭和四七年八月一日付け確認書により、午前九時三〇分から午後五時まで(拘束時間・七時間三〇分、実労働時間・六時間三〇分)とする旨定められていた。なお、昭和五〇年七月以降完全週休二日制が実施されており、土曜日及び日曜日は休日である。
2 被告は、設立以来常時一〇人以上の労働者を使用しており、労働基準法八九条により就業規則の作成義務があったが、その制定に至らず、職員を規律する規則規程類を有していなかった。そこで、村山専務理事を中心に規則規程類の整備を開始し、昭和六〇年五月二八日の理事会において就業規則案の内定をみ、組合の意見を求めるなどした後、昭和六一年四月一日施行した。
右就業規則(以下「本件就業規則」という。)においては、平日の勤務時間について、午前九時から午後五時まで(拘束時間・八時間、実労働時間・七時間)と定められていた。右の勤務時間の定めは右1記載の昭和四七年八月一日付け確認書の内容と抵触するため、被告は、組合に対して昭和六〇年一二月一二日、右確認書を昭和六一年三月三一日限り解約する旨通告した。
三(原告らの割増賃金の請求とこれに対する被告の応答)
1 原告今善司、原告坂詰勝、原告山﨑文は、原告坂詰勝において重久事務局長に対して昭和六一年四月一六日夕刻に右各原告が翌日午前九時から勤務する旨話してその承諾を得たうえ、同月一七日それぞれ午前九時から勤務した。
原告大貫健、原告高崎方子は、川又総務部長に対して昭和六一年四月一七日夕刻に翌日午前九時から勤務する旨話してその承諾を得たうえ、同月一八日それぞれ午前九時から勤務した。
2 被告と組合との間の昭和五一年四月一日付け「時間外労働および出張に関する覚書」においては、平日午後五時から午後七時までの時間外勤務の割増賃金を次のように算定することとされていた。
時間外勤務時間数×基本給÷133.25×1.25
時間外勤務手当の計算基礎となる右基本給とは、基本給と住宅手当の合計額であり、原告らの昭和六一年四月当時のその金額はそれぞれ次のとおりであった。
(原告) (基本給)(住宅手当)(合計額)
今善司 二五万〇三〇〇円 一万円 二六万〇三〇〇円
坂詰勝 二二万六三〇〇円 一万円 二三万六三〇〇円
山﨑文 一九万四三〇〇円 一万円 二〇万四三〇〇円
大貫健 三二万二三〇〇円 一万円 三三万二三〇〇円
高崎方子 二六万六三〇〇円 一万円 二七万六三〇〇円
3 原告らは、本訴において、本件就業規則の勤務時間の定めは無効であり、右1記載の日における午前九時から午前九時三〇分までの勤務を所定時間外の勤務であると主張し、これにつき右2記載の算定方法によって算出した割増賃金を請求している。
4 これに対して被告は、本件就業規則の勤務時間の定めは有効であるから、原告らの請求は理由がない、と主張する。そして、仮にそれが無効であっても、原告ら主張の「時間外労働および出張に関する覚書」は昭和六〇年一二月末日有効期間満了時の更新拒絶により失効しているから、時間外手当の請求の根拠とはなり得ない。また、原告ら主張の勤務は労働基準法三二条所定の労働時間を超えていないから、同法三七条一項に基づく割増賃金の請求権を生じさせるものではない。さらに、被告は単に原告らが所定時間内に勤務することを了解しただけで、時間外勤務を命じたことはない、とする。
四(中心的争点とこれに関する当事者の主張)
本件の中心的争点は、本件就業規則による勤務時間の定めの効力が原告に及ぶかであるが、この争点に関し、原被告はそれぞれ次のとおり主張する。
1 (被告の主張)
(一) 本件就業規則の制定により、勤務時間を午前九時からとしたことが被告職員にとって不利益な労働条件の変更であるとしても、右就業規則制定による右労働条件の改訂は、業務上の強い要請に基づき、これに必要な限度内で職員に与える不利益の程度を最小限にとどめるよう配慮して行ったものであり、新たな勤務時間の定めは、被告の会員各社における労働条件や我が国社会の一般的状況等に勘案しても決して非合理的なものではなく、全体として極めて適切かつ合理的なものというべきであり、しかも、被告は、労使関係の意見調整を計るべく何回となく協議の場を設け誠意をもって組合と交渉し、代償措置をも講じたのであるから、本件就業規則の勤務時間の定めが無効となるはずがない。
これを具体的にいうと、次のとおりである。
(1) 従前の勤務時間は、会員各社と比較して著しく短く、会員社から改訂方強く要請されていた。従前の被告の一日の所定実労働時間は、六時間三〇分であったが、会員社のほとんどは、一、二の例外を除き、一日の所定実労働時間が七時間であった。また、社会一般の水準と比較しても、労働省「賃金労働時間制度等総合調査」によると、昭和六〇年度年間所定実労働時間は、全産業平均で二〇八二時間であり、出版・印刷・同関連産業平均は二〇二六時間であるのに対して、被告における所定実労働時間は一五九九時間にすぎず、その差は、年間四〇〇時間(一日八時間ならば五〇日分)を超えていた。また、被告においては、年次有給休暇以外に夏期休暇七日間が与えられ、更に、毎年五月一日と年頭・年末の出勤日の午後はいずれも勤務を行わない慣例になっているので、それらを差し引くと、実労働時間は一五三九時間程度にしかならない。その上、実態としては、遅刻、早退が多いことを考慮にいれると、前記の平均的水準との乖離は更に広がり、実質的な労働時間の差は年間五〇〇時間前後に及ぶことになり、時間外労働も休日出勤もほとんどないことからすると、実際の労働時間の差異は更に甚だしかった。
本件就業規則制定後においても、被告の所定勤務時間は、例えば昭和六一年度においても一七二二時間にすぎず、一般の水準はもとより、比較的労働時間の短い出版業界にある会員各社の中においても依然最短グループに属する。
原告は、勤務時間短縮が世界の趨勢であり、被告はこれに逆行しようとしたと非難するが、被告における昭和六一年四月一日から昭和六二年三月三一日までの一年間の原告らの実際の労働時間は、一四二九時間で、同期間の全国平均二一〇二時間の六八パーセントにすぎない。昭和六三年六月一七日閣議決定の第六次雇用対策基本計画等による労働省を中心とする労働時間短縮の取組みにおいても、年間総実労働時間が昭和六二年には二一一一時間であったのを平成四年度中に一八〇〇時間にすることが目標とされているのであって、原告らの実労働時間は、本件就業規則制定による勤務時間の延長と就業規則の施行による職員の勤怠状況の大幅な改善にもかかわらず、右目標を六年も前の昭和六一年度に三七一時間も超過して達成しているのである。
(2) 被告は、その存立基盤を会員各社においており、会員社からの要望にはできる限り応えるのが当然であるところ、多数の会員各社からの多様な要望に応えようとすれば、多数の会員社の就業時間に対応して、午前九時から午後五時三〇分あるいは午後六時までの間、被告が対処し得る体制を備えておくのが望ましい。従来は、足らざる時間は主として管理職が対応してきたけれども、電話等による照会内容が専門的なものになってくるにつけ、一部の管理職だけでは適切な応対ができなくなっている実情にある。さらに、会員以外の一般の人たちからの問い合わせ等も、特に午前九時前後、昼休み、午後五時過ぎ等に多くあり、こうしたことからも、就業時間の延長は是非必要なことであった。そして、その存在なくして被告の存在もあり得ない会員各社から、被告職員の業務の質・量からみて、その労働条件がふさわしくないという指摘があり、被告の理事はもとより、一般の会員社からも、被告の職員の勤務は一体どうなっているのかという疑問が出されるようになり、従来の状態が続くのであれば被告から退会するとまで言い出す会員社も二、三にとどまらなかった。その際、指摘されたことは、勤務時間をはじめ、被告職員の労働条件は、会員社の平均に比べて極めて高くなっていること、そのように有利な労働条件になっているにもかかわらず、出勤時刻のごときはほとんど守られていないということが中心であった。こうした批判、指摘に対して、会員各社の従業員の業務の質・量と被告職員の業務の質・量との間に明確な差があるというのであればともかく、そのようなものは現実にはないのであるから、被告としてはその是正に取り組まざるを得ないのであって、被告理事会は、昭和五八年初頭に、会員各社の水準と比較して余りにもかけ離れた労働条件は適正なものに改めること、勤怠を中心に決められたことはきちんと守らせること、そのために、就業の決まりを明確にすることを決定したのである。
以上のとおり、所定勤務時間の延長は是非必要なことであったが、会員社のほとんどに対応し得る勤務時間を定めるのであれば、少なくとも午前九時から午後五時三〇分までの実働七時間三〇分にしなければならなかったが、被告は、これを必要最小限の一日実働七時間の限度にとどめることとしたのである。
なお、当初は、始業時刻を午前九時三〇分とし終業時刻を午後五時三〇分とする案と、始業時刻を午前九時とし終業時刻を午後五時とする案とがあった。会員各社の勤務時間は、午前九時から午後五時までと午前九時三〇分から午後五時三〇分までとがほとんどであり、実働七時間では、午前九時から午後五時三〇分までをカバーすることはできないのであるから、被告としては、始業時刻が九時でも九時三〇分でもかまわないと考え、昭和六〇年六月三日に組合に提示した就業規則案では前者の案を採用した。しかし、始業時刻については、従来から、会員各社の大半の始業時刻が九時又はそれより前で、相談等の電話連絡を処理するなどの業務上必要があっても、被告職員の出勤前のため、支障のあることが度重なり、会員各社から強く改善を求められており、勤務時間外ということで生ずる業務上の支障の程度は午前の方が著しかったため、理事会等で更に検討を重ねた結果、同年一〇月八日の理事会で後者の案を採用することになり、同月一四日これを組合に提示したものである。被告は、その際、組合との最大の争点となった一日七時間という所定実労働時間について合意できるのであれば、始業時刻については組合の希望に応ずる意思であり、その旨を説明したが、組合は、一日の実労働時間を七時間にすること自体に反対して、始業時刻についての希望を表明しなかった。実際に施行してみると、午前九時始業は、会員社はもとより官庁、銀行、その他関係方面からも極めて好評であり、終業時刻の定めが午後五時であっても、殆どの管理職が午後五時以降も残っているので、被告の選択は極めて適切であった。
(3) 所定勤務時間の三〇分間の増加によって賃率が低下する点については、被告は、就業規則発効時である昭和六一年四月一日から、春闘による賃上げとは別に、時間延長分に相当する7.7パーセントの基本給の増額改訂を組合に提案しているが、組合は、時間延長そのものに反対であるとの立場から右提案を拒否している。
さらに、被告は、昭和六一年四月一日以降、午前九時から午前九時三〇分までの間は、遅刻ではあるが賃金カットはしないという出勤猶予時間の取扱いをしている。
(4) 被告は、本件就業規則の制定にあたり労働協約で定められていた労働条件を変更することになる部分もあるため、組合と真剣に十分に時間をかけて協議しようとしてきた。しかるに、まず、組合は就業規則案の受取りを拒否し、そのため昭和六〇年六月一一日以降になって具体的内容の協議が開始されたが、組合は、意見を約束の日までに出さなかったり、就業規則案の内容をまったく否定するような内容の新たな労働協約の要求を突き付けたり、十分協議もしないうちに確認書に捺印を迫ったりという態度をとり、また、他の案件のみの交渉で時間切れになり、口頭での説明に代えて文書による説明をせざるを得なかったりしたこともあって、被告が望んだほどには実質的な交渉ができなかった嫌いはあるものの、組合の主張を取り入れて就業規則案を改定した点も十数点に及んでいる。しかし、組合側は、組合の要求を全面的にいれるよう求めてそれ以上協議しても実質的な内容が期待できない状態となり、ここに至って、被告は、単に時日を経過するわけにはいかないのでやむを得ず昭和六〇年一二月一二日に就業規則案に抵触する労働協約を昭和六一年三月三一日をもって解約すべく予告した。被告としては、労働協約解約予告後も組合との協議を続けるつもりであったが、組合は右解約予告を撤回しない限り交渉には応じられないという姿勢を崩さず、協議の行われないままに昭和六一年三月三一日の労働協約解約日、翌日の就業規則施行日を迎えたのである。
(5) 就業規則施行後の被告の職員構成は、管理職五名、一般職一二名の合計一七名であり、うち組合員は六名であるところ、毎日必ず午前九時までに出勤している職員は八名、実質的なフレックスタイム勤務で午前九時三〇分近くに出勤するが退勤時刻が午後五時三〇分よりはるかに遅く実働が七時間を超えている管理職が二名、午前九時までに出勤したり午前九時三〇分近くに出勤したりしているが退勤は午後五時の職員が二名、午前九時三〇分直前に出勤し午後五時に退勤している原告ら五名という区分になっており、就業規則による労働条件は特別事情のない限り同一事業場では統一的なものであるべきなのに実際の勤務の時間が不統一、不公平になっている。
(二) 原告らは、労働協約の労働条件に関する内容がそのまま雇用契約の内容になり、労働協約が解約されてもその雇用契約の内容は不変であると主張するが、労働組合法一六条の趣旨は、労働協約の存続中は当該協約の基準に即した効果を生ぜしめ、これに反する個々の雇用契約の効果を否定するという直律効果があるにすぎず、当該協約の基準が個々の雇用契約の内容に化体、転化して事後もなお継続することまで定めたものではない。労働協約の当事者の一方が当該協約の存続を欲せず、これを適法に解約し、かつ、これに代わるべき新たな規範を設定した場合においてもなお、個々の組合員の同意がない限り既存の労働条件の一方的改廃が絶対的に許されないと解すべき根拠はない。仮に、労働協約解約後にも既存の労働条件が一時的に存続して当事者を拘束することがあり得るとしても、それは、その場合、契約当事者の意思解釈として、新規範の設定までの当分の間その労働条件を維持する意思を有すると解される場合に限られる。契約当事者の一方である使用者が既存の労働条件を廃棄する意思を相手方に明示し、労働協約の解約とともにこれに代わる新しい労働条件を就業規則の中に設けた場合には、右のような意思解釈をする余地はなく、当該労働条件は新規範によって変更されるに至ったと解すべきものである。
2(原告らの主張)
(一) 原告らは、被告に雇用される際、労務を提供すべき時間を午前九時三〇分からとすることを合意した。また、組合と被告とは昭和四七年八月一日付け確認書によって始業時刻を午前九時三〇分とすることを協定している。したがって、勤務時間が午前九時三〇分から午後五時までであることは原告らと被告との間の個別の合意又は右労働協約により、雇用契約の内容となっていたものというべきであり、これを変更しうるのは事情変更の原則の適用のある場合だけである。そして、社会の趨勢としても、被告における事情としても、勤務時間を延長しなければならない事由が生じたことはないから、原告らの勤務時間を一方的に変更することはできないものと解すべきである。本件においては、本件就業規則制定までは就業規則がなかったのであるから、雇用契約によって定まっていた労働条件を新たに就業規則を制定することによって労働者に不利益に変更することができるかが問題であって、就業規則で定められていた労働条件が労働者に不利益に変更された場合の解釈論を当てはめるべきではない。
(二) 本件就業規則の制定により始業時刻を繰り上げたことは、被告職員にとって不利益な労働条件の変更であって、必要性の面からも内容の面からも合理性がない。したがって、仮に、就業規則の変更の場合と同様の解釈がなされるとしても、右勤務時間の定めは無効である。
すなわち、
(1) 被告職員の服務規律に問題があり、出勤時間が守られなかったとすれば、それは管理のルーズさの問題であって、それが始業時刻を繰り上げる理由になることはない。
(2) 被告が主張する会員社の要望なるものは村山専務理事の観念上のものにすぎない。仮にそれが現実にあったとしても、被告は公益法人なのであるから、会員社からの労働条件切下げの要望に従う必要はない。かえって、我が国の労働時間は一般的に長きに過ぎるから、公益法人たる被告としては、会員各社に対して被告程度に所定労働時間の短縮を働き掛ける姿勢こそ必要である。被告における労働時間が会員各社や我が国社会の一般的水準より短いとしても、その差異はさしたるものではないのみならず、それは、組合の団結権行使の成果であって、これを平均的なものに近づけるべきであるというのは、個々の労働組合の団結権の独自性を否定するものとして不当であって、会員社の要求は本件労働条件劣悪化の合理性の根拠にはならない。
(3) 始業時刻を午前九時三〇分とする旨の労働協約が昭和四七年に締結されて以来、一四年間業務に特段の支障を生じたことはなく、所定労働時間の三〇分間の延長も始業時刻の三〇分繰上げも、現実的必要性がなかった。午前九時三〇分前に会員社から相談等で電話してくることがあるとすれば、被告が会員各社に被告の始業時刻が午前九時三〇分であることを周知徹底すれば足り、会員社がその時間帯に電話で担当者と連絡をとろうとしても担当者がいないのは当然であり、苦情を述べる方が間違っている。また、被告の業務処理上所定労働時間が足りないというのであれば、増員によってまかなうべきであって、労働時間の延長によって対処するべきものではない。被告が必要と考えたのは、拘束八時間、実働七時間であって、これを午前九時から午後六時の間のどこに当てはめるかはどちらでもよかったということは、午前九時から午前九時三〇分までの間職員がいなければ業務が成り立たないということがなかったことを意味し、始業時刻を午前九時とする理由のないことを表している。
(4) 被告主張の7.7パーセントの基本給の増額改訂は提案されただけで実施されていない。被告は、本件就業規則制定、施行によって始業時刻が午前九時になったとしているのであって、これに従う職員もいるのであるから、賃上げを提案しただけでは意味がなく、組合が拒否しても一方的に実施し、その上で、原告ら午前九時には出勤しない者に対する相応の措置をとればよいのである。また、提案そのものとしても従前の賃率を維持するだけのもので、代償措置としては不十分である。また、出勤猶予時間の取扱いは、午前九時の出勤が必要でないことを意味している。
(5) 被告は、何回も協議の場を設けたと主張するが、被告には組合の要求をいれる意思がそもそもなかったのであるから、協議のみ行ってみても無意味である。被告は、目論見どおり就業規則を制定しようとしてその説明等を行っていただけで、就業規則制定とともに労働協約を解約して職員全員を従わせる予定であるなどという説明をしたことはないから、組合は、被告の就業規則案は労働協約の適用のない者に対するものと理解し、それに反対していたのである。
第三争点に対する判断
一本件就業規則制定の事情として次の事実が認められる(証拠は、各所に掲記したほか、末尾に一括記載)。
1 被告は、出版事業の健全な発達等を図るため、委員会活動、部会活動、会員社の新入社員の研修等の実施、会員社等のための出版等の事業活動を行っており、被告職員は、被告のいわゆる事務局職員としてこれら諸活動の事務的な補助作業を担当している。
すなわち、被告には、合計十数の常設委員会と特別委員会があるが、これらの各種委員会は、原則として会員社から選出された委員によって構成され、出版事業の健全な発達と出版文化の向上普及を目的として必要な調査研究を行っており、その調査研究対象は、原則として被告理事会が委員会に諮問するという形式で決定され、被告事務局は委員会の運営にかかる事務、具体的にいえば、会議の設営や調査研究の補助的作業等を行っている。また、部会は、会員社の主として扱っている出版物等の部門別に設けられ、会員社相互間の話合い、親睦の機会をもつことを活動の中心としているもので、被告事務局は、その機会の設営に当たっており、被告事務局の他の業務も、会員社の新入社員の研修会の設営、主として会員社に対する出版事業全般にかかわる各種情報の提供等、直接的には概ね会員各社の利便に資する性質のもので、その業務と密接な関係をもっている。
2 被告は、設立以来常時一〇人以上の労働者を使用してきており、労働基準法八九条により就業規則の作成義務があったが、就業規則も書面化した組織規定もなく、職員を規律する成文の規定類を有しないまま二〇年以上を経過していた。
もっとも、被告の管理者は、昭和三七年ころ及び昭和四六、四七年ころの二回にわたって就業規則の制定を検討した経緯がある。昭和三七年ころの作業は、就業規則案(<証拠>)が成文となり印刷されているが、正式に制定する段階までは至らなかった。その具体的理由は明らかでない。昭和四六、四七年ころにも管理者側の就業規則制定の試みがなされたが、結成直後の組合は、労使間の合意に達した内容で制定するという約束がなければ就業規則の内容についての審議に応じないという姿勢を貫き、折から被告自身、書店と出版社との間のいわゆるブック戦争と呼ばれた対立の問題に対する対応に追われて就業規則の問題はそのままになってしまった。
3 被告における職員の勤務時間は、もともとは、始業時刻が午前九時、終業時刻が午後五時の建前であった(前記昭和三七年の就業規則案においてもこれを前提にしてそのように規定が作られていた。)が、当時は、終業時刻後も一定の時間仕事が続くことも多かった一方、遅刻をしても賃金がカットされることもなかったことなどもあって、実際には次第に出勤時刻が遅くなる傾向があった。例えば昭和四四年に被告に採用された朝田美知子、渡辺文子の場合をみると、職員に採用された際の面接試験の通知(<証拠>)にも平日の勤務時間が午前九時から午後五時までであることが明記されており、右両名とも、採用当初は正規の始業時刻に出勤していたものの、そのうちに他の者と同様、午前九時以降に出勤することが多い状態となっていた。こうした職員の出勤状態に対して、被告の管理者側は、実働七時間が確保されればよいというおおような考え方から、午後五時三〇分あるいは午後六時過ぎころまで稼働する前提で午前九時三〇分ころあるいはそれ以降に出勤する状態に対して特段の対策をとらなかった。その結果、被告職員の勤務時間はあたかも三〇分程度後ろにシフトしたような状態となっていた。
組合が結成された昭和四五年一〇月末ころはこうした状況にあるときであって、結成直後の組合は、始業時刻を午前九時三〇分とし、終業時刻を午後五時とする実働六時間三〇分の勤務時間についての労使間の合意を要求し、被告は、実働七時間でなければ応じられないとしてこれを拒否した。当時の労使間の交渉において、被告は、午前九時から午後五時までの勤務時間のほかに午前九時三〇分から午後五時三〇分の勤務時間とする代案をも用意したが、組合は、午前九時三〇分から午後五時の勤務時間を強く主張し、昭和四五年一一月四日から「勤務時間・休憩の自主管理闘争」と称して、昼休みには全員一律に休憩に入る、午後五時になったらすみやかに退勤するという行動を徹底し、時間外勤務・休日勤務・出張の拒否の方針を打ち出し、他の要求項目と併せて、ビラ張り、ストライキ、座り込みといった行動をとるとともに、頻繁に長時間にわたり実力行使を伴う激しい団体交渉等を行った。その後、二年近い交渉を経て、被告と組合の間で、勤務時間を午前九時三〇分から午後五時までとする労働協約(昭和四七年八月一日付け確認書、<証拠>)が締結され、被告における労働時間は、拘束時間で七時間三〇分、実働時間で六時間三〇分となった。「定時出退社・超勤全面拒否・一二時〜一時一斉休憩などの自主管理」が組合の標榜するところであったが、勤務時間を右のように定めながら、労働協約中には、当該所定時間内の労働を欠く場合を規律する賃金カット等の定めは何もなく、職員には午前九時三〇分までに出勤する者がほとんどない状況で、管理職としてはその日何時に職員が出勤してくるか把握することができないという状態であった。そして、昭和五〇年七月からは、平日の勤務時間をそのまま土曜日を休日とする同年五月二一日付け確認書(<証拠>)に基づき完全週休二日制が実施されるに至った。かくて、それ以降、被告職員の所定勤務時間は、一週間の実働勤務時間数で三二時間三〇分、拘束時間で三七時間三〇分となった。
4 被告は、村山専務理事が就任後の昭和五七年一二月から就業規則の制定作業を開始したが、その当時、会員社からは、早急に職場の秩序、規律と責任体制を確立し、労働条件を適正化するよう強く求められていた。すなわち、被告が就業規則制定に当たり、会員社の意向を尋ねるなどしたところ、会員社からは、被告職員の勤務状態が余りにもよくない、朝被告に電話を掛けても担当者がいたためしがない、普通の出版社では当然仕事をしている時間にまだ担当者が出勤していないのはおかしい、実に無責任ででたらめだ、会員社が疑いを持つような状態では会員の増加にも差し支える、会員社の新入社員の研修会のスケジュール特に開始時刻が各社の出勤時刻より遅いため不都合であるなどという批判、非難、苦情があり、会員社の中には、こうした問題が解決しなければ退会するとまで言うところがあった。他にも、書籍の問屋が書店からの注文を受けて被告の取り扱っている書籍を朝のうちに取りに来ても、担当者がいないために再度出直さなければならないことになったり、委員会の会議を開催するについて時間的制約があって不都合を来したりなどの問題があった。会員社の中で勤務時間が被告と同等又はそれより短いところが二社しかないという状況下で、会員社からの右のような批判、要望が強かったため、被告としては勤務時間を延長することは必須であると考えた。
5 ところで、組合がまとめた出版関係企業(会員社の相当数を含む。)の所定労働時間の一覧表(<証拠>)をみると、昭和六二年当時においても次のとおりであって、被告における従前の労働時間は最も短い部類に属している。すなわち、出版関係企業における労働時間(拘束時間)は、本件就業規則施行後の被告と同様の八時間のものが圧倒的多数であり、七時間五〇分のものが二社、七時間三〇分ないし七時間四五分のものが一社、七時間四五分のものが一社、従前の被告と同様の七時間三〇分のものが一社、七時間二〇分のものが一社(ただし、小売り販売店舗のみ)、七時間一五分のものが二社、七時間のものが一社(ただし、小売り店舗販売店)、六時間三〇分のものが一社(ただし、タイプ業者)であって、小売店や特殊な業者を除くと、従前の被告における勤務時間は最も短い。また、午前九時以前を始業時刻とするもの及び終業時刻を午後五時より後とするものがそれぞれ過半数を占めている。
また、被告が会員社に対して本件就業規則施行後である昭和六一年一〇月一日現在でその所定労働時間についてした照会に対する会員社一四一社からの回答の集計表(<証拠>)によると、平日の拘束時間は、従前の被告と同じ七時間三〇分が最も短く、八時間未満のものは五社しかなく、これを八時間とするものが一一八社で約八四パーセントを占め、最長九時間までの八時間を超える拘束時間のものも一八社あり、一週間の拘束時間は、従前の被告の三七時間三〇分が最も短く、四〇時間未満のものは五社しかなく、これに対して四〇時間のものが七七社で約五五パーセント、最長五四時間までの四〇時間を超える拘束時間のものも六〇社で約四三パーセントを占め、一週間の実働時間は、被告の三二時間三〇分が最も短く、三五時間未満のものは九社しかなく、これに対して三五時間のものが七三社で約五二パーセント、最長四八時間までの三五時間を超える実働時間のものも六〇社で約四三パーセントを占める。
6 一方、蜂谷総務部長と川又当時主査が本件就業規則制定直前の被告職員の勤怠の状況を記録した<証拠>(当時、被告には出勤簿もタイムカードもなかったため、遅刻については、これを現認した場合に限って記録されている。)によると、昭和六一年一月二一日から同年二月二〇日までの一か月間(この間勤務すべき日は合計二二日)に、原告今が遅刻一二回、早退一回、原告坂詰が遅刻四回、早退一回、原告山﨑が遅刻九回、早退一回、原告大貫が遅刻一一回といった状況であり、同年二月二一日から同年三月二〇日までの一か月間(この間勤務すべき日は合計二〇日)に、原告今が遅刻一六回、早退一回、原告坂詰が遅刻三回、外出一回、原告山﨑が遅刻一六回、原告大貫が遅刻一三回といった状況であって、総じてみると、同年一月二一日から同年二月二〇日の所定勤務時間は一四三時間であるのに対して実労働時間の平均値は約一二六時間程度であり、同年二月二一日から同年三月二〇日の所定勤務時間は一三〇時間であるのに対して実労働時間の平均値は約一一二時間程度であって、各人の対所定勤務時間数の実労働時間の比率は概ね九〇パーセントに満たず、各勤務日単位でみると、ほとんどの職員が遅刻するという日が多い状況にあったことが明らかである。そして、それ以前の勤怠状況も概ねこれと同等ないしそれ以下であった。
さらに、被告職員の時間外及び休日の勤務時間をみると、個人別、月別にばらつきはあるものの、昭和五九年度(昭和五九年四月から昭和六〇年三月)では、一か月当たり平均値は、最も多い者で、10.5時間、平均3.3時間であり、昭和六〇年度(昭和六〇年四月から昭和六一年三月)では、一か月当たり平均値は、最も多い者で、4.9時間、平均1.2時間であって、ほとんどの者がいわゆる残業のない勤務をしている。
こうした勤務状態の結果、被告における一般職の所定勤務時間に対する実労働時間の比率は、昭和六〇年一一月二一日から昭和六一年三月二〇日までの間では、ほぼ九〇パーセントに満たない水準であって、出版・印刷業における統計値(<証拠>)が同時期に約一六〇パーセントから約一九五パーセントに及ぶのと顕著な差異があり、被告一般職のこの期間の一人当たり実労働時間数438.5時間は右統計値の七四〇時間の約六〇パーセントにすぎない(逆にいえば、右統計値は、被告の場合の約1.7倍に当たる。)。
7 本件就業規則施行後の状況をみると、所定勤務時間は、一日当たり三〇分延長されて、昭和六一年度の累計が一七二三時間(一か月平均約一四四時間)であるが、原告らの実労働時間は、昭和六一年度累計でほぼ一四三〇時間前後(一か平均約一一九時間)であって、所定勤務時間に対する実労働時間の比率は約八三パーセントにすぎず、この実労働時間は、本件就業規則施行前における実労働時間とさして差異がない。また、被告職員の出勤時間は、総体として早まり、会員社からの後記の批判、苦情等は治まっているが、現在被告に勤務する職員一七名のうち、七名はいずれも本件就業規則施行後又はその施行を前提として被告と雇用契約を締結した者であり、その余の一〇名が本件就業規則施行前から特に右のような合意なく被告に勤務している者であるところ、本件就業規則施行後の出勤時刻の実情は、前者が本件就業規則どおりの出勤をしているのに対して、後者は管理職中二名と一般職中七名が前記猶予時間内に出勤するのを原則としている実情にあり、これら合計九名の本件就業規則施行後の実労働時間の平均値は、なお従前の所定労働時間の範囲内にある。
このように現実の労働時間に大きな変化がみられないのは、本件就業規則の付属賃金支給規程(<証拠>)において、遅刻又は早退による欠務時間が三〇分を超える場合欠務時間三〇分につき基本給の二八五分の一を減額する旨定められているところ、被告がこれを一日単位で三〇分以内の遅刻、早退に対して賃金カットを行わない趣旨のものとして運用しているためである。その結果、午前九時から午前九時三〇分までの間は、賃金との関係でいえば実際上出勤を猶予された時間となっており、かつて午前九時三〇分を始業時刻としていた被告職員の勤務時間は、本件就業規則の制定、施行によって、一日三〇分間延長されて午前九時からとなったものの、実際に当該職員らが受けた不利益は見かけほど大きくない。
さらに、被告は、勤務時間三〇分の延長に対する補償として一日実働時間六時間三〇分に対する三〇分分の賃上げ(具体的には7.7パーセントの基本給増額)を一般の賃上げと別途に実施することを提案していたが、金銭的代償措置などは問題外であるとする組合に一蹴され、その実施には至っていない。
8 村山専務理事就任以来の本件就業規則制定に至る経過は、次のとおりである。
(一) 村山専務理事は、被告の顧問に就任して初めて、就業規則等諸規程が未制定の状態にあることを知り、昭和五七年一二月、専務理事就任早々の理事の集まりの際、これを話題にしたところ、過去の経緯も知っている理事のうちからは「それが問題だ。」という声も出て、翌年一月以降の理事会での討議を経て、速やかに就業規則等諸規程の制定作業に入るべきことが決まった。被告は、村山専務理事において、所轄労働基準監督署に赴いて、就業規則が未制定の状態にあるが、速やかに就業規則制定作業に取りかかることを報告した上、同専務理事を中心として、類似の諸団体の就業規則を収集して検討を始めた。
昭和五八年四月の春闘の交渉の席上で、村山専務理事は、組合に対し、就業規則制定の必要があることを話し、同年五月の団体交渉の席上でも、重久事務局長から就業規則作成のための作業に入っていることを明示した。
そして、まず、組織に関する規則規程類の整備が開始され、昭和五九年一二月には「事務局組織・職務分掌および職員制度規程」及び「職員採用規程」(<証拠>)が制定、施行された。
(二) 理事会の意向を受けながら村山専務理事が中心となって就業規則の成文化作業を進め、被告理事会において一応の成案が可決されたのが昭和六〇年五月二八日であった。この就業規則案(<証拠>、以下「当初の就業規則案」ということがある。)は、その一一条において、勤務時間について「職員の勤務する時間は一日八時間とし、始業は午前九時三〇分、終業を午後五時三〇分とする。」と定め、同規則付属職員賃金支給規程案一五条三項では、遅刻又は早退による欠務時間が三〇分を超える場合欠務時間三〇分につき基本給の二八五分の一を減額する旨定められていた。
被告は、就業規則を制定するに際して、職員の実働時間を七時間とすることを必須の前提としていたが、論議の中で、一方で朝の始業時刻を早めることは生活習慣の点から変化が大きいので避けた方がよいという意見と、他方、会員社の前記批判、要望の大勢からして午前九時を始業時刻とするのが相当であるという意見とがあり、当初の就業規則案においては前者の見解が採用された。
(三) 被告は、重久事務局長において、同年五月二九日の事務局打合せ会(事務局長招集による全職員の連絡会)で就業規則案が前日の理事会で内定したので近く組合に提示する旨告げた後、同年六月三日、組合に対し、右の就業規則案を提示してその意見を求め、組合の意見によっては修正の余地のあることを付言した。これに対し、組合は、前年末に村山専務理事のいない席で重久事務局長が就業規則案を理事会にかける前に組合に示すと述べたはずだと主張して、当日はその受取りを拒否したりしたが、同月一一日になって右就業規則案を受け取った。同日、被告は、組合に対し、同年七月五日までに意見書を提出するように求め、組合とのやりとりの後、右意見書提出期限を同年八月九日まで延長した。
(四) 同年七月一五日から同月一七日までの三日間、被告と組合間の団体交渉が行われ、村山専務理事は、組合に対し、前記就業規則案について詳細な説明をし、組合からの質問に答え、組合から口頭で意見が提出された。勤務時間の点に関しては、組合側が既存の労働協約どおりでなければならないとして三〇分間の時間延長に反対する旨の意見を述べたのに対して、被告側は、三〇分の延長は是非必要であり、提示した就業規則案では午前九時三〇分から午後五時三〇分までの時間帯を選択した形になっているが、それは確定的なものではなく、午前九時から午後五時までの時間帯等でもよく、その点は組合側の要望にあわせてもよい旨説明した。ここでの組合の意見は、村山専務理事によって詳細に整理、記載され資料として理事会に提出された。
(五) 同月二三日、組合は、前記就業規則案の撤回等を要求して、同日付けの「闘争宣言」を発してストライキを行った。
同年八月五日、組合は、被告から求められた意見書の提出期限を延長することを要求し、被告は、これに応じて同月三〇日までに意見を出すよう求めた。
被告は、同月一二日の理事会において、前記(四)の団体交渉の際に聴取した組合の口頭の意見を検討した上で、就業規則案の修正案を作成した。
同年九月九日、組合は、「就業規則(案)に対する見解」(<証拠>)を労働基準法上の意見書ではないと断って被告に提出した。その内容は、前記(四)における口頭での意見とほぼ同じであり、組合の見解は、要するに、右就業規則案は、服務基準、服務要領を定めて業務上の指示、命令に従うべきことを強調し、禁止規定をおき、これに反した場合の懲戒規定をおいているが、それは職員の活力と権利を剥奪するものであってそもそも不当である、協会の業務に関する講述や業務以外の目的による就学等を許可制とすることは基本的人権を無視したものである、勤務時間は従来どおり午前九時三〇分から午後五時でなければならない、通勤途次の業務に事前の承認を要するとすることはかえって業務に支障を来す、時間外、休日、深夜の勤務に関しては労使間の協定の問題である、遅刻、早退、欠勤について懲戒、基本給の減額を導く定めをおくべきではない、退職事由の定めについては、組合は定年制廃止を要求しているところであり、すべて不要である、解職事由の定めはすべて不当、不要である等々、労働協約と異なる内容又は組合が要求している事項に反する内容のものについてすべて反対するのみでなく、就業規則案のほとんどの規定を不要、無意味と決めつけるもので、右就業規則案が全面的に極めて不当であり直ちに撤回されるべきであるというものであった。
被告の就業規則修正案は、例えば、家族構成の変更等プライベートな事項について届出義務を課すことは不適当であり、従前の慣行どおり家族手当の支給や扶養控除申請等に必要な限りで行うこととすれば十分であるとの組合の指摘を入れ、届出事項に限定を加えたり、出張中の交通機関による移動は出張業務上必要なこととして実働時間に算入すべきであるという主張を入れ、その旨明記したり、日帰り出張の定義中に一日の勤務を通常の勤務場所と異なる場所でした場合との限定のあった点について、労働協約上六時間以上通常の勤務場所と異なる場所で勤務した場合には日帰り出張とされているとの指摘に応じて改めたり、夏期には特別休暇の七日間の慣行があるという主張に対して、七、八月中に土曜日、日曜日を含まずに七日間を夏期特別休暇として認めたり、産前、産後の特別休暇日数を当初の就業規則案における通算一二週間から産前六週間、産後八週間と修正したりするなど、組合の意見を一定の範囲で取り入れたものであった。
こうして、被告は、同年一〇月七日、組合との事務折衝において、組合の意見を参考にして就業規則案の一部を修正したので、改めて組合の意見書を求める旨表明した。これに対して、組合は、同日付けで、従来の労働協約及び労働慣行の尊重、重要事項の事前協議約款と労働条件に関する従来の「確認書」、「覚書」の内容をとりまとめた労働協約の再締結を求め、本件就業規則の制定自体に反対する「要求書」(<証拠>)を提出した。右「要求書」は、被告の提示にかかる就業規則によって労働条件を規律することに反対する組合が、これに代えて、総括的な労働協約の締結を要求するものであり、その内容は、従前の労働協約の内容を更に上回る労働条件を要求するものであった。
(六) 被告は、同月八日の常任理事会において、前記修正後の就業規則案を同月一四日に組合に提示することとし、同日の被告と組合間の事務折衝において、組合に対して、団体交渉で就業規則の修正箇所の説明をしたいとして就業規則案を提示した。その際、被告は、要求内容に対する回答としては、就業規則案の対象としている点については同案に記載したとおりであること、就業規則を制定せずに労働条件について労働協約のみで律する考えのないことを言明し、改めて、就業規則案に対する意見書の提出を求め、その提出期限を一応一一月一五日としたが、組合との話合いの進捗状況次第で右期限を延ばすことにはこだわらないとした。しかし、組合は、労働協約による労働条件の協定を主張して、話合いは平行線のまま団体交渉が継続されることとなった。
同月二一日、右の経過をうけて団体交渉が開かれ、組合は、前記要求書のような労働協約の締結により実際上本件就業規則案を廃案しようとして、被告に右労働協約締結を強く求めた。これに対し、被告は、就業規則を制定することが先決であるという基本的態度を維持した上で、組合の前記要求書の記載内容についてもやりとりをした。
翌二二日、被告理事会において前記就業規則修正案が正式に可決された。
同月二五日にも団体交渉が開かれ、当時別途問題になっていた職員の採用問題に関して被告が事前に組合と協議をしなかったことや、面接試験に組合の立会いを求めなかったことなどを巡って激しいやりとりがなされたほか、前記要求書に関して、組合は、前記要求書記載の事項の一部を取り出して、「協会、分会双方は、協約を尊重し、就業規則その他の諸規定および労働契約のうち、協約に抵触する部分は無効であることを確認する。」、「協会は、次の事項について、分会との事前協議が整うまで実施しない。(1)労働条件および労働環境の変更」などと記載した「確認書」と題する書面(<証拠>)を提示して労使間での確認を要求した。村山専務理事は右要求に応じなかったが、話の過程で同理事が、一般論として、労働協約が尊重されるべきものであること、就業規則などが労働協約に反する場合には法律上後者が優先するのは当然であるとの認識を有することや、労働条件について組合と話し合うのは当然であるが、事前協議が整わなければ実施しないというようなことはできない旨述べたことを捉えて、組合は、前者については合意が成立し、後者については事前協議条項に関する限り合意に達したと強弁して、同月二八日には、前記「確認書」の記載を一部修正した「確認書」(<証拠>)に押印するよう同理事に強く求めた。同理事は、当面被告から提示している就業規則案についての意見聴取をしようとしている段階で、右のような確認書を取り交そうとする趣旨が就業規則案の撤回要求と結び付いているものと考えて右要求を拒否した。
同年一一月八日の団体交渉においては、組合は、右確認書についての組合の要求に応じないことについて強く非難し、被告が行おうとした修正後の就業規則案の説明が時間切れでできなくなり、その説明に代えて、村山専務理事がメモを組合に渡すことが合意された。同月一一日、村山専務理事は、右約束に従い詳細なメモ(<証拠>)を組合に渡し、同月一三日の団体交渉で補足説明をした。
こうした団体交渉の中で、組合は、あくまで従前の労働協約を上回る内容の労働協約締結を目標とし、被告から提示された就業規則案は従前の労働協約に反する部分があるから全く不当であるとして、被告提示にかかる案を土台としてこれを修正する形で就業規則の規定内容を議論することを拒否し続け、他方、被告は、就業規則として職員の規律を明定し、勤務時間の三〇分延長等を実施することは必須である、他の条件についても当時の組合の要求の線までは譲歩できない、就業規則と抵触する内容の労働協約はいずれ解約する旨表明し、双方の主張は平行線を辿った。
(七) 同月二二日、組合は、被告に対し、本件就業規則案に反対し、勤務時間については昭和四七年八月一日付け確認書どおりの勤務時間とするよう主張する昭和六〇年一一月二二日付け意見書(<証拠>)を提出した。
右意見書は、冒頭に、就業規則は当時の労働協約に基づいて作成されるべきで、前記就業規則案は白紙撤回されるべきであると強く訴える旨記載したものであり、各条項に対する意見も、労働協約に定めのある点についてはすべて従前の労働協約どおりとすること、新たな事項に関しては組合との事前協議及びその同意を要件とすることなどを要求するものであった。被告は、右意見書を受領後、理事会で検討の結果、同年一一月二六日、当面これ以上の修正の必要はないとして、本件就業規則のとおり内容を決定し、その施行日を昭和六一年四月一日とし、その後も組合と協議することを予定して労働基準監督署への届出時期を村山専務理事に一任した。
(八) 同月二七日、重久事務局長は、職員全員を集めて印刷された本件就業規則を配布した。
同年一二月四日、被告は、近く団体交渉において労働協約の解約を申し入れるが、労働条件の変更部分については今後も協議する旨説明したが、組合は、就業規則を一方的に決めて、それを前提に協議することには承服できないと強く反発した。
前記昭和四七年八月一日付け確認書には期限の定めがなく、昭和五一年四月一日付け「時間外労働および出張に関する覚書」は成立以来期間満了前の破棄通告を解除条件とする自動更新条項によって一か月ごとに更新されてきたものであるところ、昭和六〇年一二月一二日被告は、組合に対し、昭和四七年八月一日付け確認書及び昭和五一年四月一日付け「時間外労働および出張に関する覚書」と、その他の確認書、覚書の一部条項を昭和六一年三月三一日限り解約する旨の通告をした。組合は、右通告書面の受取りを拒否し、同日午後一時からストライキを行った。
なお、被告は、右書面を組合に内容証明郵便で送付したが、受領を拒否され、昭和六〇年一二月一九日の団体交渉において、更に解約の趣旨を説明した。しかし、組合は、被告が本件就業規則の施行日を翌年の四月一日とし労働基準監督署に対する届出もそのころとすることとしたことについて、激しく非難し、昭和五一年四月一日付け「時間外労働および出張に関する覚書」を昭和六〇年一二月三一日限り破棄する旨通告した。
その後も、被告は、組合との協議を継続しようと試みたが、昭和六一年二月一八日、組合側は、被告との事務的折衝の中で、組合委員長から労働協約の改訂としての交渉であれば応ずるという姿勢を一旦示したものの、同月二一日ころにはこれを撤回し、以後、協議は実施されなかった。同月二八日、組合が前記の昭和六〇年一一月二二日付け意見書を無効とする旨通告したため、被告は、同年三月三日、同月一二日までに意見書を提出するように求めて組合に団体交渉を申し入れ、同月六日、同月一四日と団体交渉がもたれたが、組合は意見書は提出しない旨述べて、妥協の余地がなかった。そのため、被告は、同月一四日、再度の意見書が提出されない事情を付記して所轄労働基準監督署に本件就業規則を届け出た。
昭和六一年三月三一日、被告は、村山専務理事及び重久事務局長において、職員全員を集め、本件就業規則を再度配布し、同年四月一日からこれを施行することと新しい勤怠管理方式の内容について説明した。
(九) こうした経過の中での組合の交渉態度をみると、従前の労働協約での定めに反することは一切拒否するという立場を終始とり続け、被告が団体交渉中で就業規則の具体的条項についての協議をしようとすると退席するなどしてこれを拒否し、また、突然村山専務理事を取り囲んで二時間以上も交渉を強要したり、交渉の席上、村山専務理事をてめえ呼ばわりして暴言を発したり、カットグラスの灰皿を手にして同理事に迫る者がいるなど常軌を逸した場面が多数あった。本件就業規則案の規定中には、例えば、出張に関して、日当制をとって、実質手取額を増額するなど実質的に職員に有利な点もあったが、組合は、従前の支給名目が「手当」であって「日当」ではなかったことなどとしてこれにも反対していた。他方、被告は、勤務時間三〇分の延長に対する補償として基本給を7.7パーセント増額(一日実働時間六時間三〇分に対する三〇分分の賃上げ)を一般の賃上げと別途に実施することを提案したが、金銭的代償措置は問題外とする組合に一蹴されてしまった。
(<証拠>)
二以上の事実に基づいて、本件就業規則の勤務時間の定めが効力を有するか否かについて判断する。
原告らは、勤務時間が午前九時三〇分から午後五時までであることが原告らと被告との間の個別の雇用契約又は従前の労働協約により契約内容となっていたとして、契約に基づく原告らの勤務時間を被告が一方的に変更することはできないと主張する。確かにこのような場合、原告らの主張するとおり、新たに就業規則を制定することによって、労働者に不利益な労働条件を一方的に課することは原則として許されない。しかしながら、労働条件の集合的な処理、特にその統一的かつ画一的な決定を建前とする就業規則の性質に鑑みると、就業規則の当該条項が合理的なものである限り、たとえそれが労働者に不利益な労働条件を定めるものであっても、個々の労働者においてこれに同意しないことを理由としてその適用を否定することはゆるされないものと解するのが相当である。したがって、本件就業規則の勤務時間の定めが不利益な労働条件を課すものであることは疑いないが、それが合理的なものであれば、原告らにおいてこれに同意しないことを理由として当該就業規則の適用を拒み、自己の勤務時間が従前のままであることを主張することはできないものといわなければならない。なお、原告らは、労働協約を解約したうえ、右労働協約と抵触する就業規則を制定するのは、労働協約の優越性を定める法の趣旨を潜脱するもので、効力がないと主張するが、正当な手続を履践して労働協約を解約した以上、そのことのみによって本件就業規則による勤務時間の定めが無効となることはない。
そこで、本件就業規則における勤務時間の定めの合理性について検討する。まず、本件就業規則の制定によって、原告らに生じた不利益の程度について考えると、なるほど、従前の労働協約により被告職員の勤務時間は午前九時三〇分から午後五時までとされていたものが、本件就業規則によって午前九時から午後五時までとなったのであるから、労働時間の三〇分延長、繰上げを規定することにより、労働者に相当な不利益を与えるものといえそうである。しかしながら、本件就業規則施行後の原告らの実労働時間は、実際には、その施行前における実労働時間とさして差異はなく、また、本件就業規則施行後又はその施行を前提として被告と雇用契約を締結した者を除いて、本件就業規則施行前から被告に勤務している者らのほとんどが、本件就業規則施行後も午前九時から午前九時三〇分の範囲内に出勤するのを原則としている実情にあり、これらの者の本件就業規則施行後の実労働時間の平均値は、なお従前の所定労働時間の範囲内にあるのであって、しかも、本件就業規則と同時に施行された同規則付属の職員賃金支給規程は、前記のとおり、遅刻又は早退による欠務時間が三〇分を超える場合欠務時間三〇分につき基本給の二八五分の一を減額する旨定めているところ、被告は、これを一日単位で三〇分以内の遅刻、早退に対して賃金カットを行わない趣旨のものとして運用しているのであるから、実際には、原告らの実労働時間は、本件就業規則の施行の前後を通じて所定労働時間の変更による見かけほどの変動はないのみならず、賃金の面においても結局原告らには何らの不利益も生じていないことになるのであって、原告らが被った実質的不利益は、仮にあるとしても、極めて小さいものといわなければならない。
そして、前記認定のとおり、我が国における労働時間の現状、とりわけ被告の属する出版関係業界における前記認定のような事情に照らすと、被告における従前の勤務時間は、一般的水準をはるかに上回っていたこと、加えて、被告における勤務時間は、もともと本件就業規則と同一であったところ、次第に始業時刻を守らなくなり、前記の経過を経て勤務時間を短縮する労働協約が成立したのであるが、その後の勤務状況につき、会員社からの批判、要望等を受けて、これに応えるべく始業時刻を右協約成立前と同じ午前九時として勤務時間を三〇分延長したことは、前記経緯及び被告の会員社との関係に照らすと、その必要性も首肯しうるところであり、現に、被告職員の出勤時間は、総体として早まり、会員社からの前記批判、苦情等は治まっていること、また、被告と組合との交渉の経過は、被告側は、勤務時間を実働七時間、拘束八時間とすることを必須としながらも、それが確保されれば時間帯については組合側の要望に合わせてもよい旨弾力的な姿勢を示し、現に、かなりの点について組合の指摘をいれて就業規則案に修正を施し、また、結局組合の拒否に会って実施に至っていないものの、所定勤務時間の三〇分の延長に対する補償として7.7パーセントの基本給増額の提案をしたのであるが、これに対して、組合側は、労働協約と異なる内容又は組合が要求している事項に反する内容のものについてすべて反対するのみでなく、就業規則案のほとんどの規定を不要、無意味と決めつけ、本件就業規則案に対する対抗策として、従前の労働協約の内容を上回る条件の総括的労働協約の締結を目標として要求するとともに、本件就業規則案の白紙撤回を要求し続けるなど前示のとおり極めて頑なな姿勢に終始したこと、さらに、被告職員の中には、本件就業規則の勤務時間の定めを前提として被告と雇用契約を締結した者もあり、これらの者は、本件就業規則所定の勤務時間を遵守していることなど前記認定の諸事情を考慮すると、被告職員の勤務時間についての右条項は、その内容及び必要性の両面からみて、それによって労働者が被ることになる不利益の程度を考慮しても、なお当該労使関係における当該条項の法的規範性を是認することができるだけの合理性を備えたものということができる。
三以上のとおりであるから、その余の点について判断するまでもなく、原告らの請求はいずれも理由がない。
(裁判長裁判官相良朋紀 裁判官松本光一郎 裁判官阿部正幸)